はかなくも心温まる、犬と老人の“かけがえのない日々”―四川省成都市
- 2007-07-25 (水)
はかなくも心温まる、犬と老人の“かけがえのない日々”―四川省成都市
2007年7月22日、四川省成都市内の葬祭場で2日間にわたる葬儀がしめやかに営まれた。手厚く葬られたのは一匹の野良犬。共に過ごした時間はわずか3か月だったが、主である林さんにとってはかけがえのないパートナーだった。
大学の教授として長く務め、間もなく80歳になる林さんは、持病の高血圧で入退院を繰り返してきた。子どもたちも独立し、5年前に妻に先立たれてからというもの、さみしい一人暮らしを送っていた。3か月ほど前に成都に居を移してほどなく、散歩の途中でついてきたのがこの犬だった。いつまでもいつまでも後をついてくるので、家に連れて帰ったという。
「それからというもの、片時も傍から離れず、いつも私のことを心配してくれた。心から楽しいと思える夢のような日々だった」と林さんは振り返る。その姿は、記者のように話を聞く者には先立った奥さんが戻って着て世話をやくようにも思えてくるが、犬はその後あっけなく病気で死んでしまう。林さんは、計り知れないショックを受けたが、「いつまでも心は通い合っているから」と最高級の葬儀を手配し、風水の良い墓地に埋葬した。
2日間の葬儀や墓地などでしめて10万元(約160万円)がかかったという。(翻訳・編集/WF)
「白い犬とワルツを」まんまのような気もしますし、数千人の弔問を受けた「さよなら、クロ」を彷彿させるお話ですなぁ...。
でもやっぱり、こういう物議をかもし出していたようです。
7月22日午前、成都に住む一人の大学教授が、自身の愛犬の葬儀費として1万元の霊柩車を含む、10万元を超える葬儀を執り行ったとして話題になっている。23日の『華西都市報』が伝えた。
一人の金持ちの老教授の行為が大きな議論を巻き起こした。しかし10万元を惜しみなく注ぎ込むことで、気持ちの整理が出来たのかを私は問いたい。死んだ愛犬を忘れる他の方法を模索するべきではないのか。
老教授のこの愛犬に対する「太っ腹」ぶりに様々な意見が飛び交う。人の金はどう使おうがその人の勝手であり咎めることは出来ないと言う者もあれば、その金を貧困で学業を諦めざるを得ない子供たちのために使った方が良いという意見もある。また可哀想な老人の孤独の象徴であり、老人への関心を高めるように呼掛ける者さえいる。
しかしながら10万元の犬の葬式は、やはり的外れな行為に思える。齢をとれば、子供は成長し離れ、孤独感をまぎらわせる友が必要なことも理解出来る。その親友を見つけ出せず、犬を友達としたことも咎めることは出来ない。
しかし問題は、この浪費の意味であり、ここに老教授の心理的な歪みが見てとれる。人生の真の意味、生きる意義を学問に携わる人間が発見出来ないのなら、どうして市井の民がそれを捕捉できようか。一人の教授として、その自身の専門知識を利用して、力の及ぶ限り、社会に貢献するものではないか。もちろん自身の生活に酔い浸り、天寿を養い守ることも一つの選択である。しかし豪華な犬の葬式は、葬儀会社を喜ばせ、世論を騒がせるだけで、他にどんな意味があるというのだろうか。
80歳になるご老人に、さらに社会貢献しろつーのも厳しいですな。
何に価値を見出すかなんて、人それぞれでしょうに。
しかし、
ネットカフェ難民でアイドルオタクを恥ずかしげもなく語る、30過ぎた男の価値観は、私には到底理解できません(笑
